時代が移りゆく中で
ジェンダーや多様性など語られながら
「男とはかくあるべき」の社会的思想は
昔より薄くなったのかもしれません。
けれども幼い頃から刻まれた価値観は
細胞に染み込んだ刻印のように、
簡単には変えることのできない
パーソナリティになっているのだと思います。
40、50代になると
その刻印の傷が、ふと疼く時があります。
この痛みが普段意識されることは殆どありません。
それは、
怒りや空虚感というかたちで心に影を落とします。
人は
自分らしく生きられている時に
安心感や心地良さを感じ、
静かに満たされます。
それが長期間満たされない時、
やはり心は虚しいのです。
遠くに行ってみたり
人と繋がってみたり
新しい挑戦をしたり。
一時的に刺激や満足感を得られますが、
空虚さを埋めるための行為からは
本当の安心感は得られません。
◆安心感の正体
「安心感」とは、
つまるところ「受容」なのだと思います。
男性が一人時間を好み、
責任も役割も期待も
何も求められない場所や人に安らぎを感じるのは、
そこに
「縛られない、枠のない自由さ」が
あるからなのかもしれません。
人はこの感覚を求め続けて
安住の地を探す旅を彷徨うことがあります。
けれど
真の解放は外側ではなく
内側の受容からしか
生まれないのです。
そう、安心感とは
自分自身への受容なのですね。
◆この支配からの卒業
ご存知の通り、
尾崎豊さんの「卒業」のワンフレーズです。
大人になった私たちの心と身体に
古くから染み込んだ刻印は、
ある意味、支配ともいえます。
長く植え付けられ
押し付けられ
刻まれ続けた
「かくあるべき」の固定観念、価値観。
それらはいつの間にか
私たちを縛る「鎖」となり
心を窮屈に、重たくさせているのです。
心は、
本来のあるべき姿でいることを
望んでいるような気がしてなりません。
“あと何度 自分自身 卒業すれば
本当の自分に 辿り着けるのだろう”
この歌詞はまさに、
魂の解放の叫びのように感じます。
◆価値観の崩壊、そして原点回帰へ
ミッドライフクライシスは
「かくあるべき」の価値観が崩れ始める時に起こる、
変容の前触れです。
長いあいだ
役割や期待に応えながら
懸命に生きてきた人ほど大きく揺れるのだと思います。
それは、何かが間違っていたからではなく
むしろ真剣に、懸命に生きてきた証なのです。
だからこそ
何か特別なことを頑張るのではなく、
自分の中にある本音や弱さを
否定せずに見つめる時間が
知らず知らずのうちに
心をほどいていきます。
それは派手ではなく
地味で刺激のない工程かもしれません。
けれども
自分の内側にある声を
そのまま受け入れていくことで
人は少しずつ
自分の心に安住の地を
取り戻していくのだと思います。
今日もあなたにとって
安らぎの時間が多くありますように。
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