鎧を脱ぐということ——春分に思う、内側の統合

 

こんにちは。いかがお過ごしでしょうか。

今日は春分ですね🌸

若い頃は二十四節気を気にすることもなかったのですが、
自然を愛でるようになり、エネルギーのリズムを感じられるようになってからは、暦の節目を意識するようになりました。

 

さてさて、
相変わらずNewサイト作りに勤しんでいます。

一体、何ヶ月同じことをやっているんだ?
というくらいの牛歩🐂。

能力の無さや集中力の無さに、何度も諦めそうになりながら。

そんな時は、男性の持つ粘り強さを思い出して、
心の中で引き止めてもらっています。

 

私はよく「男性性」と「女性性」という言葉を使いますが、
男性性にはこんな性質があります。

・目標に向かう行動力
・踏ん張れる忍耐力
・やり遂げる集中力

それは、何かを“創る”ための力。

そしてそれは、男性だけのものではなく、
女性の中にもあり、逆に男性の中にも女性性があります。

どちらが優れているというものではなく、
そのバランスが、その人らしさになるのだと思っています。

普段はあまり意識しないこの陰陽も、
「ひとつの全体」として捉えたとき、
人の豊かさとして現れてくるのかもしれません。

春分だからか、そんな統合の感覚に少し触れたくなりました。

 

◆男性性だけでは無機質な世界…?

PC作業を黙々と続ける中で、
「男性性」を意識していると、ふと感じたことがありました。

——なんだか、彩りがない。

サイト作りは、自分のお家を作ることなので、願いのための必要プロセスなのですが
目の前のことをただやりこなす、というのは
こんなにもエネルギーを消耗するのですね。

ワクワクや満たされる感覚があれば、
「楽しい!」という気持ちを原動力に進めるけれど、この過程は楽しくない( ;  ; )

うまくいかない時は、
フラストレーションばかりが積み重なっていきます。

 

そんな時に思いを馳せてしまうのは、
社会の中で日々やるべきことを果たしている男性たちのこと。
彼らの粘りには、改めて凄さを感じるのです。

きっとそこには
自分を律し、
犠牲を払い、
感情とは別のところで動き続ける力があって、

一時的な高揚や達成感(アドレナリンやドーパミン)を
循環させながら、前に進んでいるのかもしれません。

◆分離から統合へ

この高揚や達成感のエネルギーの中で何十年も走り続けてきた方が、
中年期を境に内側で変化を感じた時に、
揺れることがあるのだと思います。

男性性で強く生きてきた人ほど
目標がなければ自分を見失いやすくなります。

そこで外側の世界を満たしたくなるのが
これまでのやり方だったかもしれません。

人生後半は、内側の女性性を育てることが、
幸福感に繋がるのではないかと感じるのです。

女性性を高めることとは、
決して弱くなることではありません。

“鎧を脱ぐことを、自分にゆるせること”

勝ち負けや正しさの中で生きる男性は、
「どうするか」「どう動くか」の思考に
偏りやすい傾向がありますが
本来はその行動の前に、
「何を感じているのか」があるはずなのです。

その本音に気づくことは、戦いから退くことのように
感じられるかもしれません。

戦いが存在価値を証明するものだった男性にとって
鎧を脱ぐことは、無防備になる恐怖が伴います。

けれども、この価値の変容を超えた時に、
人はようやく
「何かを成し遂げることで証明する自分」から
「ただ在ることで満たされる自分」へと
移行していくのかもしれません。

それは、外へ外へと向けていたエネルギーが
内側へと還ってくる感覚。

頑張ることでしか得られなかった充足が
力を抜いたところにも存在していると知ること。

そのとき初めて
行動や成果のためではなく
「自分の感覚を味わうため」に
人生を使うことができるのだと思います。

男性性と女性性の統合とは
どちらかに寄ることではなく

どちらも内側にあると知り、
必要なときに自然と行き来できること。

春分という節目に
そんな内側のバランスを
そっと見つめてみるのも
良いのかもしれません🌸

今日も良い1日をお過ごしください。

 


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