【ミッドライフ・クライシス】加齢とは、失うもの?それとも深まるもの?

 

おはようございます。いかがお過ごしでしょうか。

 

私ごとですが、先日に誕生日を迎えました。

女性は50代が一番楽しいとよく聞きますが

40代から既にその兆しを感じています。

 

かつては”年を取る”という言い方をしてきました。

でも今は、”年を重ねる”という表現を使っています。

 

数としては足されますが

余分なものは引かれていき、

深みは静かに増していく

そのような年の重ね方を、

自分自身でリスペクトしています。

 

でも一般的には、中年期以降からの誕生日は

「老いる」「若さを失う」など

ネガティブなイメージに捉えられることが多いように感じます。

 

自分も30代の頃はそうでした。

若さを失っていくマイナスの不幸ごとに感じていて、

お祝いメッセージの返信にも

「また年とっちゃった。もうババァだけど、年には負けずに若くいたい!」ってテンプレートのように返していました。

 

今思えば外側(容姿)の価値だけに囚われていたような気がします。

自虐を入れることで自分を納得させようとしていたところもあります。

 

自分が強みにしてきたもの=(若さの美しさ)に固執していたのです。

 

あとは、言葉の意味をあまり考えずに「こう捉えるのが当然」というマジョリティ的価値観を癖のように使っていたことにも気づきました。

 

年を重ね、発する言葉の「意味」を大切にするようになり、

日々どんな言葉を自分にかけてあげるかによって見える景色が変わると知った時に

自分自身をマイナスに捉えることから

静かに抜け出る方向へシフトしました。

 

 

中年男性は、体力の低下、心身の疲れ、

ストレスなどによる体型の変化などから

加齢を感じて悲観的になることが増える時期だと思います。

 

“いつまでも健康で、エネルギッシュにいたい”

人生を大切にしているからこその願いですよね。

 

でもその願いの奥には、
衰えそのものへの恐れというよりは、

自分の価値が失われていくのではないか
という無意識の不安があるのかもしれません。

 

年齢を重ねることで
少しずつ様々なことが変化し始めた時、
戸惑いや寂しさを感じるのは、自然なことだと思います。

 

「年を取りたくない」

「嫌になる」
「若くいたい」という言葉の裏には

 

「まだ終わりたくない」
「まだ価値がある」
「まだ必要とされたい」

という男性としての「存在価値の確認」や

これまでの「人生の確認」の変換なのかもしれません

 

 

年齢を重ねることは、

失われるだけのものではなく、
視野や感受性、理解の深さを
静かに育てていく側面も持っています。

 

年齢を受け入れながら

重ねることに味わいや豊かさを感じる。

そのタイミングは、人それぞれだと思います。

無理に前向きにならなくてもいいし、
すぐに受け入れられなくてもいい

 

ただ、
「年を重ねる」という言葉の中に、
あなたの経験や積み重ねてきたものが

唯一無二の魅力として「存在」となっていることを、
どこか片隅に置いてもらえたら幸いです。

 

昨日の会話から

年齢を重ねるということについて

少し触れたくなった朝でした。

 

では、今日も健やかな一日をお過ごしください。

 


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