こんばんは。いかがお過ごしでしょうか。
年末年始からの仕事始めでリズムが変わった一週間。疲れも多く溜まったかもしれません。
なるべく早くゆっくりできますように。
さて今夜は、男性の抱く”罪悪感”について、
感じてきたことをお話ししたいと思います。
ありがたいことに、これまで男性の本音に触れさせてもらう機会がありました。
それは、私自身が人の内面に深い関心があり
上辺の話にはあまり興味を感じられないため
心に触れる話になりやすいからなのかもしれません。
普段の何気ない話から少しずつ本音を出してきてくれることが、嬉しいのです。
でもその会話の中で、男性からある共通の言葉が発せられることに気がつきました。
それは、内なる思いや考えを伝えてくれた後に
“こんなの思う自分、ダメだよなぁ”
と、自己否定的な言葉があることです。
普段外には出さない男性の心の一部。
一般的に、それは「弱音」と呼ばれるものなのかもしれません。
弱音を吐いた自分を許すことができなくて、
「そんなこと思ってはダメだ」とプチ責めするのですね
そのようにして、男性は無意識に
本音を否定したり、抑えたりを繰り返しているのかもしれません。
でも、改めて感じるのは、「弱音」って、一体なんでしょうか。
何かの事象が起きた時、自分の内側では
自信がでたり
不安がおきたり
やる気になったり
嫌だなって思ったり
本当に、数えきれない思いや考えが現れます。
でも、その現れた全てが自分の思い、”本音”なのです。
そこには弱いも強いもなくて、
ただあるのは”ありのままの自分の気持ち”
本当は嫌だった
悲しくて辛かった
悔しかった
腹が立った
全部全部、大切なあなたの気持ち。
「こんなこと思うのダメだよなぁ」と自己否定してしまうことさえも大切なあなたの思い。
小さな頃から男性は、「弱音を吐くな、強く在れ」
と強く刷り込まれてきました。
消極的な気持ちを外に出すことは「ダメなこと」
それが数十年と刻まれてきた無意識の観念。
その観念を破るときに、罪の意識が生じるのです
思いを外に出すことに多くの男性が抵抗を感じるのは、
自分への罪悪感と、他者からの否定や評価されることへの無意識の恐れです。
内側に触れる時には、痛みが走ります。
ありのままの自分を見ることは
とても勇気がいることだからです。
自分を受け入れてあげることよりも
自己否定をする方が、心が痛くないのです。
不思議かもしれませんが、
この感覚はとても人間的で、自然なものです。
なぜなら、”自己否定”はこれまでの人生の中で何度も経験してきた「慣れた痛み」だからです。
うまくいかなかったとき、期待に応えられなかったとき、誰かに否定されたと感じたとき。 私たちはそのたびに、自分を責めること、自分を無視することで心の均衡を保ってきました。
否定には痛みを伴いますが、その痛みは予測できるものです。 耐え方も、やり過ごし方も、気の払い方まですでに知っていて。
だから心は、あえてそこに留まろうとします。
一方で、自分を受け入れるという行為は、まったく別の質を持っています。
それは、これまで否定し続けてきた自分の存在そのものに対して、”それでもいい”とゆるしてあげること。
その瞬間、心の奥にしまい込んできた感情や記憶、 見ないふりをしてきた痛みや寂しさが、静かに顔を出し始めます。
受容とは、楽になることではありません。
むしろ一時的には、否定よりも揺さぶられるのです。
なぜなら、”受容”は防御を無くすことだから。
守ってきた鎧を脱ぐことだからです。
「受け入れて出して、もしまた否定されたらどうしよう」 「期待して、裏切られたらどうしよう」
そんな恐れが、心に浮かぶかもしれません。
心は、これ以上自分が傷つかないために、自己否定という選択を続けてきたのですから。
けれども、伝えたいことがあります。
自己否定は、今この瞬間の痛みを和らげてくれるかもしれませんが
同時に、生きづらさを長引かせてしまうものでもあります。自己受容は、生きやすさや本当の安心感の土台だからです。
自分を受け入れることは、怖さを伴います。
けれども受容の先には、まだ見たことのない自分との出会いがあります。
無理にゆるそうとしなくていい
無理に肯定しようとしなくていい
ただ「否定しなくてもいいかもしれない」と、 ほんの少しだけ自分に余白を与えてあげられるようになると、心は少しずつ緩み始めます。
その選択は、誰かのためではなく、 これまで懸命に生きてきた、あなた自身のためのものです。小さな意識が、軽やかな明日へと繋がっていきます。
今日は少し、熱が入ってしまいました。
いつでもあなたのそのままを、受け容れています。
では、今夜もおやすみなさい
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